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自立支援についての考察

コラム

自立援助ホーム

2024/04/22 10:52
自立支援についての考察
 私たちの仕事は子ども達を支援すること。そんなの分かり切ったことですが、考えていると、
段々と分からなくなってきます。
 支援って一体なんだろう…。
 辞書によれば支援とは“力を貸して助けること”。
 私たちは自立援助ホームのスタッフですので、自立のための支援ということになるのでしょうか。
でも、“自立”ってとても抽象的でよく分かりません。
 厚生労働省によれば「本人が自らの生活を自らの責任で営むことを基本としつつ、それ
だけでは生活が維持できない場合に必要な援助を行うという考え方」が自立支援。
 この背景には「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」、「障害を持っていてもその
能力を活用して社会活動に参加すること」が念頭に置かれているようです。
 児童福祉の世界では自立の意味は「経済的な自立」、「社会的な自立」、「精神的な自立」、
(身体的な自立)でしょうか。
 
 でも、私たちはどうやって「それだけでは生活が維持できない場合」を判断するのでしょうか。
誰が、何を持ってして...
 世界は今多様化の時代です。多様化は価値の氾濫ともいえるのでしょうか。
 夜に同じテレビを観て、同じような時間に食事を摂って、同じようなことで親から怒られて、
次の日に友達と昨日見た番組(プロ野球?、Mステ?例えが古すぎるような)で語り合って…。
そのような光景は、現代においては、もう見られないでしょう。
 
 私たちが生きている“今”は、私の隣に住んでいるあの人、友達のあの人、嫌いなあの人、
尊敬するあの人、それぞれが全く異なる生活形式を送っています。
他人から見て目を顰(ひそ)めるような"その生活"も、その人からすればまわっている。

価値の多様化の世界。
 
困っているのかそうでないのか。見た目では判断できません。スタバでコーヒーを
飲んでいるあのお金持ち。スタバでコーヒーを飲んでいる生活に苦しんでいるあの人。見た目では判断が付きません。
 私たちは誰に対して、そして何に対して、どのように支援をしたら良いのでしょうか。
 「苦しい」と表現しない、できない人には何もしないで良いのでしょうか。
 何も言わない人に支援をする、ある意味で"大きなお世話"をする必要があるのでしょうか。
 
 自立援助ホームに引きつけて書くとすれば、
本人ができないことをスタッフが声を掛け、気持ちの高揚、意識の散らし、無理強いをして
させることは正しいのでしょうか。
 朝、仕事に行きません。さてどうしましょう...
スタッフが声を掛け、気持ちの高揚をさせれば行くかもしれません。
でも、それは子どもに下駄を履かせていることになるのかもしれない…。
本来、直視するべき課題を先延ばしにしているに過ぎず、
苦しみを増幅させるきっかけになるかもしれない。
 その一方で、何もせずにいることは心配。無責任ではないか。
 
 いつも私たちは二つの方向性に対する判断を迫られているような気分になり、どちらも正しく見えます。
 どのような解答を持つか...
 それはその施設次第。
 でも、その解答が合っているかの答えは、ずっとでないのかもしれません。