石井十次
医師であった石井十次は、公的な児童福祉制度が未整備であった明治時代に、私財を投じ、多くの人々の寄付に支えられて岡山に孤児院(後の「岡山孤児院」)を設立しました。
「来る者は拒まず」という無制限収容の方針を掲げ、貧困、災害(濃尾地震など)、あるいは日清・日露戦争によって親を失ったこどもたちを分け隔てなく受け入れ、最盛期には1,200人ものこどもを保護しました。
石井十次の功績は、大規模な施設養護だけでなく、日本で初めて大規模な里子委託(現在の里親制度の原型)を実践した点にあります。彼は、こどもは家庭的な環境で育つことが最善であると考え、保護したこどもの約8割を農家などの一般家庭に預ける「委託主義」を推進しました。
このような彼の理念は、現代の施設養護と家庭養護の考え方の源流となっており、自身が定めた「岡山孤児院十二則」には、今なお色褪せない児童福祉の哲学が記されています。